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城北法律事務所 ニュース No.55(2007.2.15) | 城北法律事務所

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城北法律事務所 ニュース No.55(2007.2.15)

城北法律事務所 ニュース No.55(2007.2.15)

佐々木芳男弁護士を偲んで

佐々木芳男さんが城北法律事務所に入ったのは1980年のこと。入所してすぐに所員数名の前で「菊池を打倒する」と言い放ったことは、当時の仲間の語り草となっている。古いあり方を改めて、自分が新しい事務所を作るという気概を示したものだった。それ以来、丸い字で細かく記した事務所改革のプランを何度も提案した。
事務所の40周年パンフレットに、自分の仕事について次のように書いている。「見えにくい事実に光をあてる弁護士の仕事には根気がいる。ようやく見えてくる事実が真実だ。裁判には事実の掘り下げがいる」と。そして「ただ依頼者の喜ぶ顔がみたくて」とまとめている。依頼された人の喜ぶ顔を見たいとの思いで、事実の掘り下げに粘り強くこだわるところに、彼の真骨頂があった。

佐々木芳男
1948年、東京都出身
早稲田大学法学部卒業
1980年弁護士登録(32期)
青年法律家協会弁護士学者合同部会事務局長
反核豊島国民法廷の取組み/巣鴨拘置所跡地の戦犯記念碑住民訴訟/大気汚染の公害裁判/植田選挙弾圧事件/和田製本・国鉄労働組合などの労働者の権利擁護の闘い/ひったくり・えん罪大木君事件/坂本堤弁護士救出活動/警察拘禁二法、国家機密法など悪法反対運動に尽力
すべてに誠心誠意、情熱を持って取り組みました。享年58歳


佐々木芳男さんのこと
「きらめく日々」

弁護士 菊池 紘

佐々木さんは入所の年に巣鴨プリズン跡地の戦犯慰霊碑裁判に加わった。その後、植田事件などの弾圧事件や大気汚染の公害裁判、さらには和田製本や国鉄労働組合池袋地区などの厳しい争議に全力を投じた。この過程で青年法律家協会事務局長の重責を担った。また、大木君の事件で無罪判決を得たこと、そして城北法律事務所で修習し横浜法律事務所で活躍する中で犠牲になった坂本堤さんの救出運動に身を投じたことは記憶に新しい。
私とは公職選挙法違反(文書違反)植田事件と国労池袋7分会・配属差別不当労働行為事件をともにした。革同、社会党、その他の寄合いの7分会のたたかいは、「気配りの佐々木さん」の細かい配慮無しにはうまくいかなかったというのが、本音のところだ。ワッペン干渉を摘発する行動などで池袋駅に何度も入ったほか、豊島公会堂、勤労福祉会館、区民センターと繰り返し集会を持った。彼は「分割民営化反対・国民の足を守る豊島区民会議」の事務局長として、常に先頭に立って走り回った。さらに板橋区民会議の仲間と伊豆の国労教育センターに六本木さんに会いにいったりした。このように国労池袋のたたかいは佐々木さんなしには語れない。
打倒するべき対象だった私を残して、佐々木さんが先に逝ってしまうということは、実に不条理なことである。そしてこのことは、多くのひとに共通の思いであろう。とにかく、佐々木さんを失ってしばらくは虚脱感がひろがり、残った。かつてないことである。
彼がいなくなった事務所には、10年前に亡くなった嶋田隆英さんの長男が入所する。佐々木芳男さんがその58年の人生を重ね合わせてきた大きな夢ム東北アジアの平和とこの日本の民主主義、そしてなによりも憲法9条の理念ム彼が抱いた大きな夢に思いをいたし、足を踏み出していきたい。


佐々木さん、さようなら

32期 弁護士 佐藤むつみ

昨年の11月。佐々木さんと東京地裁の玄関前で偶然出会った。佐々木さんの顔色が土気色で、歩くのもしんどそうにしている姿にぎょっとした。「元気なの。体調どうなのよ」「まあ何とか」と言うものの、佐々木さんは冬の明るい日差しの中でまぶしいような顔を遠くに向けて苦しげに歩いていった。なんてことなんだ。全く。「まあ何とか」じゃないよと思った。
佐々木さんはいつもあれこれあれこれ心配するのがくせである。
私たちが修習生だった頃、青法協主催の集会になると決まって佐々木さんは「むっちゃんビール足りてるかな、食べ物は大丈夫かな」とうろうろする。主催者側実行委員長のくせして。もちろん記念講演の内容や集まっている修習生の反応にも気を配りながらビールも気になる。
集会が終われば講師の送りにも気を配る。くるくる丸まったような字でレジメを作っては出席者や進行を見ていた。その苦労などからっきしわかっていない私は「あのさ、佐々木君ね。校長先生と用務員さんを一緒にやってるからダメなのよ」と冷たく言い放っていた。そういっても佐々木さんは「まあそういうなよ。へっへっへっ」と言いながらまた気を遣っているのである。
そういうときちょっと眉間にしわを寄せて遠くを見るようにするのが佐々木さんのくせ。いつも大変な仕事はなぜか佐々木さんの担当になってしまうのである。ごめんね。
「オレはバレーボールやっていたから体力には自信があるんだ」と相変わらず大きな風呂敷を担ぐように仕事と活動をしていた佐々木さんはついに体調を崩してしまった。
ストレスを集めてしょって立つ佐々木さんの体は悲鳴を上げていたのだと思う。それでも佐々木さんは仕事のこと事務所のこと友人のことを考えずにいられなかった。きっとあれやこれやと気配りをくり返していたのだ。通夜の席の出席者やビールの数、食べ物のことなど、きっと向こうから心配してるのだろうと思う。
偶然私が同期で最初に佐々木さんの死を知ることになった。「佐々木さんが死んじゃったんです」みんなに電話するたびに胸が詰まった。こういうことって佐々木さんがいつもしていたことだった。絶句する友人達。
佐々木さん、いなくなって私たちほんとにさびしいよ。


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