【50周年を振り返る】
これからもよろしくお願いします
弁護士 小薗江博之
私が最初に事務所を訪れたのは、1972年4月(43年前)です。当時私は東京大学のサークル(法学部でもっとも古く、大正時代から存続)で行っていた、大学周辺の文京区の各地域での学生による無料法律相談活動に参加していましたが、事件を弁護士に依頼したいという相談者と一緒に訪問したのです。
当時、法律事務所の大半が銀座、日比谷、丸ノ内にあり、池袋それも東口ではなく、西口(山手線の外側)まで相談に行くのかと正直思いました。
10年後の1982年4月に、私は城北法律事務所に入所しました。池袋の街も、1970年まで巣鴨拘置所だった跡地が1978年にサンシャインシティができて以降、さらに発展していました。
1965年に、将来の城北地域の発展を見越して、池袋に事務所を開設しましたが、当時、一般の市民が、弁護士に法律相談をするところまでいくことが、とても敷居が高いものがありました。反面、地域の無料相談に大勢の相談者が来ていたのです。まして市民が、銀座まで足を運ぶことは大変でした。
現在、事務所は弁護士総勢26人、質量とも都内の1級事務所になりました。でも敷居のないところが、事務所の原点であり、基盤であると思います。これからもがんばりますので、よろしくお願いいたします。
【50周年を振り返る】
この池袋の地に根を張って
弁護士 阿部哲二
私が城北事務所に入所したのは、1984年4月になります。1年後、事務所は創立20周年を迎えました。いつまでこの事務所に在籍するのか、そんなことを当時考えたようにも思いますが、それから30年居続けて事務所の50周年を迎えることになりました。昔はよく、まだ独立しないの、いつ独立するんですか、などと言われたこともありました。独立して初めて一人前という感じなのでしょうか。
でも、当事務所は違います。1年目も10年目も30年目も同じです。みな独立した弁護士の集団事務所です。そのなかで、さまざまな課題に各々が取り組み、しかも、民主主義の発展、人権の確立を共通の基盤としていこうというのが、池袋にある城北事務所で活動する理由です。
私も入所後、水俣病訴訟、第一化成労災事故事件、文化シヤッター保険金事件、薬害ヤコブ訴訟、薬害イレッサ訴訟など、全国の課題そして地域の課題に取り組んできました。現在は原発被害訴訟に取り組んでいます。
弁護士26人の大世帯。これからも、さまざまな分野の活動に若手弁護士を中心に取り組んでいくと思います。でも、銀座や六本木にある事務所とは違います。同じであっては意味がありません。この城北の地で、豊島、板橋、練馬、北、文京などで働き生活する方々の相談にのり、きちんと事件を解決する。そんな頼りにされる事務所として、さらに発展していけるようにと思います。