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城北法律事務所 ニュース No.77(2018.1.1) | 城北法律事務所

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城北法律事務所 ニュース No.77(2018.1.1)

城北法律事務所 ニュース No.77(2018.1.1)5P

自由の抑圧と闘う弁護士への道

弁護士 平松真二郎

 千葉県内の県立高校を卒業後、北海道大学法学部に進学するため、札幌に移り住みました。1994年冬、法学部の学生であった私は、たまたま大学の図書館で手に取った本が「ある北大生の受難」という本でした。この本は、戦争中、北大生宮沢弘幸が英語教師ハロルド・レーンに旅行談として根室飛行場の話をしたことが軍機の漏えいとされ宮沢が懲役15年の刑に処せられた事件の顛末を丹念に掘り起こした本です。

 知識として知っていた言論弾圧事件はおどろおどろしいスパイ事件のような印象を持っていましたが、宮沢・レーン事件は、ささいな日常の会話が軍機保護法違反とされていたことを知り、国民の日常を奪う治安統制国家の恐ろしさ、理不尽さを感じていました。

 1996年、大学3年生になって進路を考える際に、漠然と法律でご飯が食べられたらと考えていました。そのときは恩師の誘いもあり、やはり憲法こそが重要だと思い、憲法学を学ぶべく大学院に進学しました。司法試験も受験していましたが、熱心に受験勉強などすることもなく大学院生活を過ごしていました。よく言えば、好奇心が旺盛、悪く言えばあれこれ首を突っ込み一つのことに集中しない性格のため、学問を究める学者への道より、様々な事件を通じて権力による自由の抑圧と闘う弁護士のほうが性にあっているのではと思い、本格的に弁護士への道を目指すことにしました。1998年夏のことでした。

 ところが、受験生としても、一つのことに集中しない性格が災いしてか、司法試験に合格するまでかなりの年月が必要でした。2005年に司法修習生となり、いろいろな場でどんな弁護士になりたいのかと聞かれ、さまざまな事件を通じて人権課題にとりくみ、憲法裁判に関わり、あたらしい憲法判例を作りたい、「難しい事件から逃げない弁護士でありたい」と答えていました。

 2006年に弁護士登録。いざ弁護士になってみると、人権課題に取り組む、憲法裁判に関わるなど抽象的な目標を掲げていても……、そんな目標はあまり意味を持たないのではないか、大事なのは一つ一つの事件を適切に解決することに尽きるのではないかと感じるようになりました。また「難しい事件から逃げない弁護士」になるのも、目の前の一つ一つの事件に真摯に取り組むことからはじまるのだと思うようになりました。

 これまで11年あまり、一つ一つの事件の適切な解決が、やがて人権課題の解決につながっていく、そして新しい憲法判例の誕生へつながると信じて東京「君が代」裁判、首都圏建設アスベスト訴訟、中国遺棄化学兵器敦化事件、福島原発被害東京訴訟、生活保護切り下げ違憲国賠訴訟など様々な事件に取り組んできました。

 ひとまず紙幅が尽きます。なぜ、自分が弁護士という生き方を選んだのか、そして、その生き方を貫いているか、恥ずかしくない実践を積み重ねて、いつの日かその問いにまっすぐこたえられるような弁護士になれればと思っています。


様々な差別を身近に感じて

弁護士 大八木葉子

 高校生くらいまでは、将来の夢として、織物職人・染色職人・農芸化学の研究者等様々考えていました。身につけた技術を生かしながらこつこつと仕事をしていきたいという思いが強かったと記憶しています。

 その後、大学に入ってからは企業に就職するか、それとも公務員試験を受けようかと考えていましたが、あっという間に就職活動の時期になってしまいました。就職活動をするまでの時期は、男女は平等と教えられており、「女らしくしなさい」と言われることに「女らしさとは何?」などと違和感を感じつつも、男女差別について実感することはほとんどありませんでした。ところが、就職のための資料集めを始めた途端、男性との違いを実感するに至りました。

 私が幼かった1970年代は、平等の要求の時代であり、結婚退職制、差別定年制などの女性に対する差別慣行が差別であると主張する裁判がなされ、女性の職域の拡大(専門職・管理職への進出等)がなされた時期でした。1975年は国際婦人年、1979年には女性差別撤廃条約の採択がなされ、その後、1985年には男女雇用機会均等法が制定されました。

 これらについて頭では知っていても、自分に結びつけて考える必要性がほとんどありませんでしたが、突然、就職の時期になり、自分の問題として突きつけられることになりました。さらには、それまで知識として知っていた様々な面での男女差別が身近に感じるようになりました。女性の問題だけでなく、子ども、高齢者、障がい者等に関する様々な問題をも身近に感じるようになりました。これらの問題に気付き、小さな事でも何かできることはないかと思うようになったことー私が法律家を志した理由の一つは、ここにあるように思います。

 私が弁護士になった前年の1997年には男女雇用機会均等法が改正され、募集、採用、配置、昇進に関する努力義務の規制を強行規定・禁止規定とするなど男女差別の規制が拡充強化されました。育児・介護休業法も改正され、深夜業の規制を育児・介護支援者のための男女共通の深夜業制限措置に組み替えられました。

 そこには、多くの国民が差別の解消を求める現実や育児や介護のために制度を求める姿がありました。女性差別だけでなく、この世の中には実にたくさんの解決すべき問題がありました。司法修習生の頃には、女性に関する問題として、いわゆる「従軍慰安婦」の性被害、(主に妻に対する)家庭内暴力、さらには、出産にかかわる医療過誤等に強い関心がありました。

 私ができることは限られていますが、問題点に気付き、共感し、一つ一つ大切に対応していきたいという思いは、法律家を志す時も、司法試験の勉強中も、弁護士になってからも変わらないつもりですし、これからも変わらないでいたいと思っています。


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