城北法律事務所 ニュース No.69(2014.1.1)

目次

今こそ憲法を!
「憲法」「秘密保護法」の学習会の講師を派遣します
今年は「9条」を流行語大賞に

弁護士 大山勇一

「キュージョウ」という言葉を聞いて、「憲法9条」を思い起こす人は私の周りには多いのですが、若い人を中心に広がりはまだまだ限られているかもしれません。

2004年6月に発足した「九条の会」は、平和憲法を護り日本を再び戦争をする国にしないことをめざして結成され、いまやその数は7000を超します。地元の豊島区でも2005年9月に結成され、今年も8周年記念集会を開催するなど、地域の会員を増やし続けています。

全国の九条の会の増大とともに、憲法改正に関する世論も風向きを変え始めました。結成前には6割以上あった憲法改正容認の声も、会が7000を超えた2008年には4割に減りました。憲法9条をまもろうとの草の根の運動が国民全体に伝わっていったのでした。こうして「自分の在任中に必ず憲法を改正する」と宣言した安倍首相の企てはいったんは頓挫しました。

2012年4月に「憲法改正草案」を発表した自民党は、まずは憲法96条の「改正手続き」の要件を緩和して改正自体をしやすくすることを目指しましたが、これも広範な国民の反対の声によって頓挫しました。

このように二度の失敗に懲りた自民党・安倍内閣は、当面は、憲法そのものの改変である「明文改憲」はいったん政治課題から棚上げし、そのかわり「立法改憲」「解釈改憲」といって、法律やその解釈によって憲法の規定を実質的にひっくり返す動きを強めています。

先日成立した「秘密保護法」「日本版NSC(国家安全保障会議設置)法」はその一例です。中身は国民の権利を侵害するものですから、充分な審議を経ずにまさに数(議席)の力で無理やり通してしまいました。

加えて、自民党はまだ明文改憲をあきらめてはいません。「草の根」の全国対話集会を準備しています。

前述した「憲法改正草案」が思いのほか不評だったことから、これを国民に「理解」「共感」してもらおうと学習会活動に力を入れるというわけです。

海外で戦争を行うためには、軍法会議を設置し、戒厳令を敷くことのできる国づくり、そして戦争に反対する人々の声を封殺する国づくりを進めなければなりません。そのためにはどうしても立法(解釈)改憲だけでは足らずに、最終的には憲法9条そのものを変える必要があるのです。

今年は護憲派とともに改憲派からも9条の話題が出る一年になりそうです。学習会の力比べならわが城北法律事務所は負けてはいません。これからの1年間、大いに憲法9条を語り、その意義を確認し、できれば「9条」を2014年の流行語大賞にしたいものです。


集団的自衛権と海外での戦争

弁護士 菊池 紘

○学生の頃、ベトナム戦争があった。当時アメリカの言うことなら何でも聞いていた日本だが、この戦争には参戦しなかった。参戦していれば私もベトナムのジャングルの中で死んでいたかもしれない。そうでないとしても、大義のない戦争に苦しみ、悩んでいただろう。参戦した韓国の若者は5000名が死亡し、10万名あまりが負傷した。

ベトナム戦争は過去のことかもしれないが、わずか10年前のイラク戦争で自衛隊はサマワにいったが、水道を掘るだけで、戦闘には参加しなかった。日本の若者は、外国で人を殺さず、殺されることもない。そうしたこの国のあり方は、国際的におおきな信頼を得ている。それが日本の誇りだ。

○アメリカの言うことはなんでも聞くとそしられる日本が、ベトナム戦争に参戦しないで、イラク戦争の戦闘に加わらなかったのは、政府が集団的自衛権の行使を認めなかったからだ。

集団的自衛権とは「自国と密接な関係にある外国に対する攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」とされている。しかし歴代の政府は「憲法9条でも自衛権は認められ、自衛権行使の三要件の下であれば自衛権は行使できるが、集団的自衛権の行使は9条のもとで許容される実力行使の範囲を超える」とし、海外派兵は禁止されているとしてきた。

集団的自衛権が行使された事例としてあげられるのは、ソ連によるハンガリー介入、チェコ侵略、アフガニスタン介入やアメリカによるベトナム侵略、ニカラグア介入、アフガニスタン攻撃、イラク攻撃(2003年)等である。いずれも国際法上違法な侵略であり、集団的自衛権は、国家主権の侵害の口実にされてきた。

○この60年余り、自民党の政府が一貫して集団的自衛権を否定し続けてきたのは、政府自ら求めたものではない。なによりも戦争を放棄した憲法9条があり、そしてこれを支持し海外派兵を許さないとする国民の強い世論があったからに他ならない。

しかし今、安倍首相は、海外派兵をしないというこの国のあり方を、ほしいままに180度転換しようとしている。しかも、国会での論議を回避したまま、首相の一存で。首相は形式的には安保法制懇にその検討を求めているが、もともと首相のお手盛りの懇談会の結論は、はなから明らかである。そして、内閣法制局長官の首のすげ替えも、集団的自衛権を承認するためのものだ。長年にわたり、自民党政権は集団的自衛権を否定してきており、歴代の法制局長官もそのための理論的裏付けを与え続けてきたが、ここへきての長官の首のすげ替えの意図するところは、あまりにも明らかである。

いま安倍首相が呼号する集団的自衛権承認への転換―これを認めるかどうかは、この私たちの国のあり方を左右する分水嶺になっている。