城北法律事務所 ニュース No.76(2017.8.1)

これってどうなの? 国会 審議、憲法改正、共謀罪

多数決について

国民の意思が反映した選挙結果を尊重するのが民主主義。最終的には多数決に従うべき。国会では与党が圧倒的多数なのだから与党の主張が尊重されなければならない?

弁護士 舩尾 遼

安倍自公政権は国会で多数派を占めていることをいいことに、様々な悪法を充分に審議しないまま強行採決しています。特定秘密保護法、戦争法、刑事訴訟法改悪、共謀罪と多数決だけで強行採決された法律はここ数年で枚挙にいとまがありません。

特に、共謀罪は中間報告という「議院が特に緊急を要すると認めたときは、委員会の審査に期限を附け又は議院の会議において審議することができる」という国会法の規定を悪用して、審議=充分な話し合いを打ち切り、強行採決したことはみな様の記憶にも新しいと思います。

このような強行採決は、国民の意思が反映した選挙結果に基づいて多数派がおこなっているから許されるという議論を最近耳にします。

しかし、憲法はそのような多数決のみによる国会運営、政治を予定していません。そもそも、憲法は、多数派による数の横暴を許さず、少数派であってもその人権を保護する、多数派が作った法律によっても侵害することができない価値として人権を保障しています。

また、憲法は、議院内閣制を予定しており、政党の存在を当然の前提としています。多数決ですべてを決めていいのであれば、政府与党だけ選挙で決めればいいのであって、野党や国会は不要なものになってしまいます。

さらに、選挙は全面委任ではありません。選挙の際に争点になってもいないことまですべて国民は国会議員に対して白紙委任をしたわけではありません。

憲法が想定している民主主義は、数による多数決だけではなく、充分な議論を通じて、国民の多数派だけではなく、少数派も皆が納得することができる結論を出すことです。

したがって、民意を反映するだけではなく、民意を統合することが憲法上不可欠の要請になっています。

強行採決は憲法上決して許されないものです。


改憲(9条3項)について

憲法9条1項2項はそのまま残し、3項として自衛隊の存在を書き加える改正を行えば、自衛隊が違憲との疑いを払拭できる?

弁護士 木下浩一

2017年5月3日、安倍首相は、同日付の読売新聞のインタビュー等において、憲法9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む「2020年明文改憲」への意欲を表明しました。自衛隊明記の理由として、自衛隊に対する国民の信頼が9割を超えているのに、多くの憲法学者が自衛隊は違憲だと言っている。違憲かもしれないけど命を張ってくれというのは無責任であり、自衛隊が違憲との議論の余地をなくすべきであるからとしています。

そもそも、2012年に公開された自民党憲法改正草案では、現行の9条2項が削除されていますが、なぜ安倍首相は、9条2項を維持した上で、自衛隊の存在を明記しようと言い出したのでしょうか。現在の民意は、9条改正不要との意見が改正必要との意見よりも大きくなっています。与党は、各議院の総議員の3分の2以上の議席を得ているため憲法改正の発議を強行できる状況にありますが、憲法改正に必要な国民の過半数の賛成を得るのは困難な状況にあります。そこで、9条2項を残しつつ、現状の自衛隊を追認するという国民の抵抗感が少ない改憲案を提案してきたのではないでしょうか。

しかし、戦力不保持、交戦権否認を定めた2項の後ろに自衛隊を明記することになれば、「後法は前法に優る」あるいは自衛隊は憲法自体が認めた存在であるとして、国民の意図とは逆に、2項を死文化させ、自衛隊に対する憲法上の制約が無くなることになります。国民の自衛隊への肯定的意見は、災害救助に尽力し、殺さず、殺されない今までの自衛隊に対するものでしょう。しかし、そのような自衛隊を念頭に、自衛隊を憲法に位置付けることは、本質的には9条2項の削除と変わらず、戦争法により認められた集団的自衛権の行使、他国軍への「後方支援」を更に超えて、海外での無制約の武力行使を行うことに繋がりかねません。

自衛隊を憲法に明記するというのは、現状の自衛隊を追認する以上の意味があることに注意しなければなりません。


環境権について

環境権や高等教育の無償化は、憲法改正によってしか実現できない?

弁護士 加藤 幸

まず、高等教育の無償化は憲法改正をしなくても実現することができます。現在の日本国憲法は、第26条2項後段で「義務教育はこれを無償とする。」と定めているだけで、「義務教育以外の教育を有償とする。」とは規定していません。したがって、現在、義務教育とされている小学校、中学校に加え、高等教育を無償とすることも憲法には反せず、高等教育を無償とする法律を制定すれば、実現が可能です。

また、環境権については、環境権を権利として正面から認められた判例はありませんが、これは「環境権」の内容や帰属主体が明確でなく権利として認めるにはあまりにも漠然としているというのが大きな理由となっています。

「環境」とは自然環境だけをいうのか、文化的遺産も含むのか、「権利」の帰属主体である住民の範囲をどのように考えるのか、「環境権」が侵害された場合に国に対しどのような施策を求められるかなど権利の内容が明確ではありません。

このため、自民党の憲法改正草案でも、「環境権」は権利として規定されているのではなく、「国は、国民と協力して、国民が良好な環境を享受できるようにその保全に努めなければならない。(第25条の2)」として、国の努力義務として規定されているだけです。

この条文があったとしても、国が環境の保全のために具体的にどのような責務を負うのかは、法律で定めざるを得ず、環境破壊が起きた時に、誰がどのような義務違反を主張して裁判を起こせるのかも、法律で定めなければなりません。

結局、環境権を主張するためには環境保護の内容を定めた法律を充実させることが必要であり、環境権を実現するために憲法改正が必要であるということにはなりません。