城北法律事務所 ニュース No.80(2019.8.1)

憲法特集

憲法9条と戦争のリアル

弁護士 久保木 太一

1 若者に改憲の危険性を伝えるために

弁護士3年目の私は、ありがたいことに、様々な市民団体等から憲法学習会の講師依頼を多くいただいている。そのときに必ずいただく質問がある。

「若者に改憲の危険性を伝えるためにはどうすればいいですか?」
元号が令和に変わって「準新作」になってしまった平成2年生まれの私が、未だに「若者」のカテゴリーに入っているのかはさておき、一応若者を代表して、私はこう答えるようにしている。
「今の若者に欠けているのは戦争のリアルだと思います。若者に戦争のリアルを伝えるべきです」

2 「戦争のリアル」が欠けた若者

「今の若者に欠けているのは戦争のリアル」
かような感覚を私が抱いたのは、 SNSの代表格であるTwitter上で以下のような趣旨のTweetを見かけた時だった。

「憲法9条に自衛隊を明記することに反対してる奴らは、自分の家族や恋人が敵軍に殺されようとしていたり、レイプされようとしてたりしても、自衛隊に助けを求めないんだよな?」
このTweetを見て、強烈な違和感を感じるのは私だけではないと思う。このTweetはあまりにも「戦争のリアル」からかけ離れている。

たしかに、少年マンガの世界においては、ヒロインが敵に襲われそうになり、絶体絶命のピンチのときに、突然仲間が現れ、背後から敵を攻撃し、ヒロインを救うというシーンが、枚挙に暇がないほどに存在している。

しかし、少なくとも私は、実際に日本が経験した戦争において、そのような実体験を聞いたことがない。つまり、「米兵に襲われそうなとき、日本兵に助けてもらって、間一髪生き延びました」という戦争経験者を見知ったことがない。
なぜか。簡単である。実際の戦争においては、軍隊は敵陣や外国の戦場に乗り込んでおり、国民が襲われようとしてるその場にはいないからである(なお、仮にいたとしても、目の前の国民を守ることは彼らの任務ではない)。

その点、昨年他界された高畑勲氏の名画「火垂るの墓」を見ていて、私はリアリティーを感じた。市街地で市民が空爆を受けるシーンにおいて、日本兵の姿は一向に見えない。彼らは外国の戦場に赴いているからである。

また、同映画では、節子の死があまりにも淡々と描かれていることが印象的である。一つ一つの人の死に拘泥していられないほど、次々と、いとも容易く、人の命が失われていくのが戦争なのである。

この程度のリアリティーすら、今のネット言論及び若者には欠けている。私よりも学年が7つ上だが議員の中では「若者」といえるであろう丸山穂高衆議院議員は、5月の国後島訪問中に「戦争でこの島を取り戻すのは賛成か反対か」などと発言した。彼の発言にも「戦争のリアル」は欠けており、戦争をゲーム感覚で軽々しく扱ってしまっている。

さらに、百田尚樹氏の「永遠のゼロ」をはじめとし、戦争を美化したコンテンツがヒットしている。

しかし、日本が経験した戦争は決して美化できたような代物ではない。

太平洋戦争において、日本兵の死者のほとんどは日本の敗戦が濃厚になった後に出ている。しかも、その死因のほとんどが餓死ないし病死である。自殺者も少なくない。このただただ悲しくて虚しくてやるせないだけの戦争をどうして美化できようか。

3 「戦争のリアル」を語る重要性

実は「戦争のリアル」が欠けているのは若者だけではない。権力者もである。なぜなら、戦争が起きても決して戦場に赴くことがない権力者にとって、戦争とは単なる目的達成の手段でしかないからだ。彼らにとって、人の死は、「戦死者数」という統計でしか表れない。

「戦争のリアル」が欠けた人々の手によって、9条改憲が進められていることに、私は大きな危機感を覚える。

ゆえに9条に関する小難しい議論は一旦措いておいて、私は「戦争のリアル」を伝える場こそが必要だと思っている。

その際の語り手は、法律の専門家として憲法を語ることができる私ではなく、戦争経験者や戦後間もない世代を生きた方々がふさわしいと考えている。

学習会をしていると、「私はもうそろそろ死ぬから、あなたたち若者がこれから頑張ってね」と冗談交じりで話すご高齢の方もいる。私は言いたい。「それでは困ります。9条を守る鍵を握っているのはあなた方の世代なのです。もっと長生きしてください」と。