城北法律事務所 ニュースNo.89 2024新年号(2024.1.1)

弁護士に聞きたい どうして弁護士になったの?

弁護士 小薗江 博之

弁護士になってから43年目を迎えます。今振り返ると、生まれ育った東京、特に東京西北部に住む人たちの中で、できるだけのことができたらと思っていたことが、弁護士になった理由の中で大きな位置を占めていたのではと感じます。

私が生まれたのは文京区です。明治時代の終わりに、地方から東京に来ていた祖父が文京区に住むようになり、関東大震災、東京大空襲での家屋の全焼を経て、私が生まれた翌年(1954年)、ようやく小薗江家は自宅を新築しました。その後祖父が1955年、父が1962年に亡くなりました。

大学に進学し、たまたま同じクラスの中で司法試験合格を目指す同級生が多く(クラスで二桁が合格し、おそらく現在まで全クラスの中で最大多数と思います。)、特に親しい同級生が全員司法試験の勉強に取り組んでいました。地域密着型のサークルに加入し、子ども会、聴覚障害者の会、生活保護世帯訪問、法律相談などさまざまな活動に参加しました。戦争で家族や財産を失った方、ずっと働いていたのに怪我をして働けなくなった方、障害があるため兄弟と疎遠になった方、そして元気な子どもたち、さまざまな方と出会い、元気をもらいました。クラスやサークルの仲間には本当に恵まれました。

そして1982年、池袋駅西口(山手線の外側)の城北法律事務所で弁護士としての歩みを始めました。無罪を勝ち取った2つの刑事事件、高等裁判所で逆転した西武バス解雇無効事件・農地の宅地並課税取消事件、事務所入所以来断続的に関与した東映・東映アニメーションの正社員化闘争など印象に残る事件は、本当にたくさんありますが、地域密着型事務所ならではの事件も数多くありました。閑静な住宅地の隣で違法建築の上、深夜営業を強行した中古車販売店に対する騒音差止め請求-早宮中古自動車店深夜営業騒音防止事件。深夜に自動車を上下に移動、空ぶかしの騒音、深夜住民から来てほしいと連絡を受け、騒音を発生させている中古車販売店の社長と対峙しました。

バブル期には悪質な地上げが横行、深夜睡眠を妨害するいやがらせで、これも深夜住民から来てほしいと連絡を受け、山口組関連企業の相手とやりあいました。その後トラックを店舗に突撃させて住宅は崩壊しました-中華料理店襲撃建物取壊事件。最後は、山口組関連企業に多額の賠償金を払わせ、終結しました。

依頼者から頼りにされていると思うと嬉しいし、深夜に呼び出されると、本当に嬉しいかぎりです。東京と東京西北部地域、今までもそうでしたが、事件に関わりつつ、自分を育ててくれたこの場所で、少しでも恩返しができればと思って、これからも頑張ってゆきたいと思います。