城北法律事務所 ニュースNo.89 2024新年号(2024.1.1)

<事件報告>支援者、理解者に支えられ、救済制度の創設、法改正を成し遂げて
薬害ヤコブ病訴訟が終結

弁護士 阿部 哲二

薬害ヤコブ病をご存知ですか。

脳外科手術の際に、ヒトの死体から採取した脳硬膜を乾燥させたものが医療材料としてドイツの会社で作られ、1997年まで日本の脳外科手術で普通に利用されてきました。ところが、この脳硬膜にCJD(ヤコブ病)の患者から採取したものが入っていたことから、これを用いた患者にヤコブ病が感染していたのです。感染因子はプリオンタンパクと呼ばれる物質で、狂牛病と共通するものでした。アメリカでは、問題の硬膜の危険性を知り1987年には輸入禁止等の措置が取られていました。ヤコブ病は発症すると患者は無言そして無動の状態となり、1~2年で亡くなる不治の病といわれてきました。

1996年大津地方裁判所に最初の裁判が起こされ、翌97年には城北事務所を拠点として、国、輸入業者そしてドイツの会社らを被告とする薬害ヤコブ訴訟へと発展していきました。裁判を起こした原告は亡くなるか無言無動で被害を訴えることは出来ません。

代わって訴えるのは患者の家族、そして支援する連絡会が豊島、板橋、練馬をはじめとして23区内に結成され、また、亡くなられた中川昭一代議士を会長とする超党派の議員連絡会も結成されました。

そして2001年夏には、この事件は判決を取って最高裁まで裁判を続ける必要はない、話し合いで全ての被告に責任を認めさせ未だ提訴出来ない患者、これから発症するかもしれない患者の救済ルール、さらにヒト由来の硬膜のような生物由来製品感染被害救済制度も国に作らせようという大きな目標を立て、裁判所の勧告を引き出し、厚労省前坐り込み、国会要請等を重ねて、2002年3月に遂に全面解決の確認書を厚労省の講堂で調印するに至ったのです。一陣原告は大津で11名、東京で9名わずか20名でしたが、その周りに多くの支援者、理解者を得てたどり着いた解決でした。

その後、薬事法の改正、生物由来製品感染被害救済制度が薬の副作用救済制度と併存する形で作られることになりました。

一方、20名だった患者は、その後の発症した患者も含め全体で140名に達しました。
これほどの死者を出した国は、日本しかありません。対策が遅れたのです。3歳のとき脳外科手術を受け、30年の潜伏期間を経て30才過ぎに発症した方もいました。残念ながら未だ治療法は開発されていません。

96年に始まった裁判は、今年9月に140件目の和解を成立させ全て終了しました。
自分が自分でなくなる不安を抱えた患者、患者を抱え裁判を支えた家族、我が事のように支援して頂いた多くの仲間があっての闘いでした。

何度か事務所のニュースにも書いてきたので、まだ続いていたのかと思われる方もいらっしゃるかと思います。長い間のご支援、本当に有難うございました。