薬害肝炎訴訟原告本人尋問を経て
裁判官も原告の証言を真剣な表情で聞き入る
弁護士 武田 志穂
昨年の11月29日、東京地方裁判所の大法廷で東京薬害肝炎訴訟の原告本人尋問が行われました。
薬害肝炎訴訟の原告は出産時の出血に血液製剤を使用され、肝炎ウィルスに感染してしまった産婦が多数を占めます。この日尋問を行った2人の原告のうちの1人も、出産時に血液製剤を投与されました。急性肝炎を発症し、緊急入院を余儀なくされ、生まれてきた子供の面倒は原告の母親が仕事を辞めて見るしかありませんでした。医師からは「この病気には治療法がないから、とにかくベッドに横になって寝ているしかない。テレビや本は疲れるから見たり読んだりしてはダメ、トイレと食事、洗顔の時以外は起きあがらず横になり、寝返りもなるべくうたないように」と告げられ、原告はひたすらベッドの中で横になるしかありませんでした。2~3ヶ月の入院の後、退院してもだるさが残り、幼い子供を抱きかかえ、ほ乳瓶やミルク、お湯などを持参で病院に通院せざるを得ませんでした。いつも冷静で表情を崩さない東京地裁の裁判官も、それまでとは違った真剣な表情で原告の証言に聞き入っていました。
今、日本には200万人前後のC型肝炎の患者がいると言われています。そのほとんどが医原病、すなわち注射針の回し打ちや、輸血や血液製剤の投与による感染です。まさしく、国家が生み出した国民病と言えます。にもかかわらず、国家によるC型肝炎の患者に対する医療支援は決して充分とは言えません。根治療法であるインターフェロンの保険適用が制限されていたり、少し地方に行くと専門医が不在で、患者は充分な治療を受けることができません。
この薬害肝炎訴訟は、訴訟を通じて医療政策の充実など原告だけには留まらない肝炎患者全体の救済を求めています。東京地裁では、しばらくの間原告本人尋問が続行されます。次回の原告本人尋問は2月7日火曜日10時から、東京地裁の103号法廷で行われる予定です。
皆さんもぜひ傍聴にいらしてください。
ある労働事件について
「自分の権利は自分で守る」ことの重要さ
弁護士 工藤 裕之
昨年の12月に、ある労働事件が解決しました。
その内容と経過は、次のようなものです。
Aさんは電話交換手として長年B社に勤務し、官公庁、テレビ局などの現場に派遣されていました。
しかし、B社から、Aさんの勤務していた現場が2005年の10月末日でなくなるので、違う職種の仕事(掃除など)をしてほしいと言われました。Aさんとすれば、A社に入社以来、ずっと電話交換手として働いてきたので他の職種の仕事はできない、定年まであと1年数ヶ月であり、電話交換の現場はあるのだから、電話交換手の仕事をしたいと強く主張しました。これは当然の主張です。
ところがB社は、今の現場は若い女性でなければだめだと顧客から言われており、それは無理だと突っぱねたのです。ただ、B社も訴訟などはやりたくない意向を持っていて、しばらくの間、Aさんを自宅待機にさせて(これは会社の業務命令です)、その間話し合いをする中で、Aさんは退職するが、会社は相当額の解決金を支払うことで合意できました。解決金は比較的高額になったのです。会社には、違う職種への配転命令を出して、これを拒否するAさんを解雇するという方法があったのですが、なぜ会社はこうしたやり方をとらなかったのでしょうか。
実は、AさんはB社との間で、2003年の春にB社の都合で一旦退職するが、同年12月には電話交換手として必ず再雇用するという明確な覚書を交わして、退職していたのです。
しかし、B社はこの約束を守らなかったために、Aさんは会社の扱いにまったく納得できずに、弁護士会の仲裁、簡裁での民事調停の申立をし(ここまでは本人がひとりでやっていました)、それでも解決しないので、私と当事務所の大山勇一弁護士が代理人となって、仮処分、本裁判を提起し、2004年12月1日に見事に電話交換手として職場復帰をした実績があったのです。
Aさんには、理不尽なことがあると闘う姿勢を持っていることがB社も充分に知っていました。
今回、話し合いのみで、比較的高水準で解決したのは、まさにAさんの力量によるものだったのです。
自分の権利は自分で守ることがいかに重要であるか、Aさんの事件はよく示しているものと言えます。